【ビアン】私が唯一カミングアウトした肉親・おばあちゃんとの思い出を綴る
皆様こんばんは、nene.です。
なんだか急に肌寒くなりましたね。
体調の変化にはご注意ください。
さっそくですが、うちは揃ってお腹を壊しました。笑
さて、今年の敬老の日はもう過ぎてしまいましたがせっかくなので
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
こちらを書いてみたいと思います。
私にとっておばあちゃんは、「私の人生においてなくてはならない人」です。
私とおばあちゃん
私にとっておばあちゃんは、母親のようなもの。
と言いますのも、実の母親は私が小学三年生の頃にお家を出て行ってまして。
それ以降、私はおばあちゃんのお家で暮らすこととなりました。
ちなみにおばあちゃんもすでに離婚していたため、思いがけずふたり暮らしに。
父は大阪の方で仕事を続行、私はおばあちゃんのいる地域の小学校に転校しました。
それから高校3年生まで、約9年間、おばあちゃんは私の母親代わりを務めてくれたのです。
今思うと、あの年齢で学校のいろんな行事はきつかったことだろうと思います。
しかし持ち前のタフさで、私の我儘にも付き合ってくれて、本当に感謝しています。
だからおばあちゃんは私にとって、「一番大切な肉親」と言えます。
おばあちゃんはこんな人
おばあちゃんはとっても健康で病気知らず。
何より明るく朗らかで、友人の多い人です。
昔はよく自転車で走り回っていて、30代の今の私ですら「無理かも」という行動力。
そして優しく、行き過ぎたほどに甘やかしてくれたなと感じています。
いわゆる思春期を共に過ごしたので、いろいろぶつけてしまうこともありました。
今になって後悔していますが、その分恩返しがしたいなと常々思っています。
おばあちゃんへのカミングアウト
私が唯一肉親でビアンであることをカミングアウトしているのが、おばあちゃんです。
当時ボロボロになりながら告白した記憶がありますが、そんな私に対して言ったのは「そんな人もいるからね」という寛容な言葉。
自身クリスチャンである彼女からすると、肯定しがたいことであるはず。
しかし、若く現代寄りの感覚を持つおばあちゃんは、それを端から否定せずゆるやかに許してくれたのです。
本当に救われた思いがしました。
しかし、最近は痴呆が進んでいてどうやら記憶から抹消されているよう。
そして代わりに毎回浴びせられるのは「結婚は?」という悪気のない言葉。
あまりの息苦しさに、正直最近はあまり電話に出れないほど…
孫の中で一番同じ時を過ごし、思い入れもあるであろう私の行き先がどうしても案じられる様子です。
心残りのことを、何回も言うらしいですからね。
そんなおばあちゃんに、再度カミングアウトし直すなんて酷なことは到底できません。
だから私はやんわりと嘘をつきます。
そうすると、安心するみたいだから。
最近はその繰り返しだけど、おばあちゃんが少しでも心安らかに過ごせる選択肢をとり、お世話になった分だけこんな形ではあるけど恩返ししたいなと考えています。
おばあちゃんと私の思い出
少し前までは、よく一緒に小旅行に出掛けました。
私が帰省するついでに、近場のお宿をとってまったりと。
「レオマワールド」や「琴平温泉」などにはよく行きました。
今でもその時に撮った写真を眺めるほど。
最近でこそコロナの影響で帰れていないけど、落ち着いたら本当に顔を見に行きたいなと思っています。
おばあちゃんは私が家を出てから一人暮らしだったんだけど(おばちゃん(おばあちゃんの娘)は頻繁に家に来てたみたいだけど)、最近は一人の時間が心細いみたいで、施設に入っています。
まだ施設へ一度も行けていないことが心残り。
話で聞く分には、女友達と仲良くやっているみたいだけど…
でも、ポロリと「施設の人やからねぇ」と漏らしていたのが深かった。
ちなみに一緒に暮らしていた時は、そのおばちゃんと三人でよく出掛けたものです。
「健康ランド」や「ゆめタウン」など(聞く人が聞いたら分かる?笑)
そんな時代が今は嘘みたいな暮らしぶりだけど、大事な思い出です!
何とか盛り返そうと思ったのだけど、構成が下手だったのか、なんだかちょっとしんみりしてしまいましたね。笑
そんなわけで、当時の写真でも貼っておくことにします☟
今一番行きたい場所・会いたい人は「おばあちゃん」と言えます♡